僕が八百屋で野菜を買う理由

目が醒めたら洗濯機グルっと回してパン頬張って手抜き掃除やっつけてコーヒー淹れて首都高乗って、二子玉で2時間ほど笑えるレベルのテニスを楽しんだら地元に戻って八百屋で野菜を買うのが土曜日の僕のお約束(天気が良くて二日酔いしてないバージョン)だ。関係ないけど、ルーチンってわりと大事だと思うんだよね。心の平静を保つうえで。

うちの徒歩圏内には総合スーパーと食料品スーパーが1軒ずつあって、たいていの食材はそこらでまとめ買いするのだけれど、野菜と果物だけは「はぎわら青果店」で買っている。はぎわら青果店は日本全国あの町この町で見かける類いの八百屋なのだけれど、今日のおすすめを高らかに告げるお兄さんの声に誘われて店を覗くと、いつも目新しい野菜に出会うことになる。


※関係ないけど、2011年に行ったトルコのアジア側の八百屋の店頭写真です

夏には万願寺唐辛子や水ナス、冬になれば壬生菜や大きく真っ紅な金時にんじんが、平台で存在感を示している。顔を出すうち、この店のマーチャンダイジングには何らかの意志が込められていることがわかってくる。

「これってどうやって食べるの?」
「これは普通に肉と炒めてもいいけど味噌汁に入れると最高です。昨日うちでやってみて、本当旨かったです」

とっさの質問にこう答えられると、見知らぬ素材への挑戦欲が掻き立てられるよね?
前に古川享さんが「"Eat Your Own Dog Food"という、マイクロソフトの社訓、”人におすすめする前に自分で食ってみなさい”を実践されることを願っております」ってtweetしてたけど、この兄ちゃんは文字通り売り物をまず自分で食べてから客におススメしているわけだ。

はぎわら青果店の値段は、スーパーに比べると同じか若干高いレベル。正直「雪国まいたけ」みたいな規格品であればスーパーでいいかと思わぬでもないけれど、この店が街から無くなったら寂しいし困るので、投票するように買っている。この購買行動はもはや、経済合理性を超えた“愛”と呼ぶべき感情に支配されていると言えよう。愛は価格競争に勝つのだ。では僕や君の商売において愛とは何なのか?今度ズッキーニでも齧りながら語り合いたいね。